京アニ事件について思うこと

まずは、亡くなられた被害者の方々にご冥福をお祈りいたします。そして、遺族となったご家族の方々にはお悔やみを申し上げます。

この犯人と私は同い年です。どういう41年間を歩んだらこれほど身勝手な凶悪犯罪を起こすのかを考えさせられる部分もあります。2000年卒の就職氷河期といわれる世代ですが、社会に出てからずっと不景気でサラリーマンをしていても起業してからも私は常に厳しさを感じてきました。同世代を見ていても新卒で就職して現在まで勤めているのは公務員含めて本当に僅かです。もはや終身雇用制度も崩壊しており、日本を代表する大企業のトヨタの社長も将来的には制度の維持は難しいとの見解を示しました。

ここ20年間の経済や社会背景は暗い話題に終始するわけですが、ただこのことと無差別殺人の因果関係を結びつけることは出来ません。それよりも、どのような家庭環境でどのような教育を受けてきたのかが犯人の人格を紐解くきっかけにはなると思います。

昔、ある保護者の方からゲームばかりして困っているという生徒に「何でゲームが好きなの?」とたずねた事があります。その答えに「ゲームは努力が報われるし達成感があるから」と返ってきて、なるほど、なかなかちゃんと分析できているんだなと感心した記憶があります。ゲーム会社や制作者はそういうことを意識して、ちょっとずつハードルを高めて、その度にちょっとずつ達成感を味わえるよう難易度の設計をしてゲーム作りをしているわけなんです。

時間を費やし努力したら必ずクリアできて、ゲームをしている間は主人公は常に自分です。 しかし、現実は自分は主人公でもなんでもなく、その辺にいるただの村人です。しかも、どれだけ時間を掛けてもどれだけ努力しても報われないことだらけのスーパーハードモードです。

私は将棋と楽器が好きなんですが、この二つを通じて得たものは、「将棋に負けるのは100%自分が悪い」「演奏が下手なのは100%自分が悪い」ということで、他者に責任転嫁する余地が小指の爪先ほどもありません。オンライン将棋を長くやっていると戦績は勝ち負け半々、勝率50%になります。プロですら公式戦の年間戦績は半々です。2回に1回は負けている訳で、いちいち勝ち負けにこだわっていては将棋なんて続けていられません。

楽器も上達するためには2小節3小節の短いフレーズを何度も何度も何時間も繰り返し練習します。地味な練習に嫌気が差すこともあります。それでも続けるのは、それはやはり達成感なんでしょう。ゲームから得られる達成感と楽器や将棋から得られる達成感にどのような違いがあるのでしょうか?一言でいえば、本物か偽者か、嘘か誠かのようなものだと思います。

ゲームやアニメは立派なコンテンツであり日本が得意とする分野であり今後も発展してもらいたい産業です。しかし、子供が触れるには危うい側面も大いにあります。子供にどれだけ本物の教育の機会を与えられるかが、将来的な凶悪犯罪の抑止に繋がるのではないでしょうか?遠回りなようでそれが近道だったなんてことありませんか?

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